日本の本州あたりの地域では、昔から、
節分の日にいわしを食べたり、
いわしの頭を飾ったりする風習があります。
これは、平安時代から続く、由緒正しい習わしです。
ですが、いわしのにおいが苦手な人の中には、
いわしではなく、いわしの干物を連ねた
「めざし」の方でも良いのでは?
と考える人も多くいます。
今回は、節分に飾るのはいわしが良いのか、
それともめざしでも良いのか、また、
いわしの頭を飾ることの意味などについても、
ご紹介したいと思います。
節分には、豆まきや恵方巻きの他に、
“いわしを食べたり飾ったりする”風習があります。
とはいえ、これは本州地域にかぎられた
風習のようで、九州や北海道出身の人には
ほとんど知られていません。
ともあれ、平安時代からつづいている、
この風習の意味は、
“いわしのにおいで鬼を追い払う”
というものです。
これは、
“鬼はいわしの焼いたにおいを嫌う”
と考えられていたためです。
めざしは、干して束ねてあるというだけで、
元はようするにいわしですから、
同様の効果が期待できます。
ただし、後述の理由で、
めざしは節分の「飾り」には向きません。
食べ物の好みとして、
いわしよりもめざしが食べたいということで
めざしを選ばれることもあるかと思いますが、
そのときは、玄関飾りの方は断念しなくてはなりません。
先ほども少し触れたように、
めざしは、元を辿ればいわしです。
もう少し詳しくいうと、
いわしを数匹まとめて串に刺し、
干物にしたものが、めざしと呼ばれているのです。
海で穫れたいわしを、鮮度が高いうちに塩漬けにし、
竹串やビニールひもなどを使って数匹ずつ連ねて
干したものを「めざし」と言います。
まとめるときに、
いわしの目に串やひもを通して連ねることが
慣例だったことから、
“目を突き刺してつくる干物”
から転じて、「目刺し」
という呼び名が一般的となりました。
したがって、いわしとめざしは、
食べる方からすると、
見た目から味からまったく違っていて、
同じとはとうてい言い難いのですが、
節分で用いられる意味にかぎっていえば、
“鬼が嫌いないわしのにおいを発するもの”
ということで、
両者は代替可能な同じものと言うこともできるのです。
節分には、「柊いわし」と言って、柊の枝に刺した
“いわしの頭”を玄関に飾る風習があります。
いわしは、
魚の中でも特ににおいがきついことで有名ですが、
鬼は、そんないわしの臭いが
大の苦手であると言われています。
なので、まず、
いわしまたはめざしを焼いて煙を立て、
家の中の鬼を追い出します。
煙と一緒に鬼が出て行きやすいように、
窓を空けてやりましょう。
そうして、いわしをいただいたら、
食べなかった頭を、一つで良いので、
捨てずに柊の枝に刺して玄関の飾りとします。
柊の、チクチクした刺のある葉も、
鬼を寄せつけないためのアイテムの一つです。
これを、鬼の嫌いないわし(の頭)と
組み合わせて飾ることで、
玄関から鬼が入ってくるのを防ごうという、
魔除けの意味が、柊いわしにはこめられています。
いかがでしたでしょうか。
節分に食べたり飾ったりするのは
いわしが良いのか、めざしでも良いのか、
ということについてご紹介してきました。
いわしという魚には、
鬼に対する魔除けの効果がありますから、
節分に食べるのは、基本的には、
いわしでもめざしでもどちらでも大丈夫です。
柊いわしを飾るときはめざしではむずかしいので、
これはいわしでやりましょう。
めざしを焼いて煙を立たせるだけでも、
じゅうぶん、鬼を追い払ってくれる効果があります。
鬼はいわしのにおいが苦手なのです。
以上、参考になりましたら幸いです。